井口昇『恋する幼虫』〜少年の日に抱いた憧憬とその裏側に存在する不気味なダークサイド──、

恋する幼虫 [DVD]

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「アダルトビデオを作り続けるということは、少年の頃に抱いていた無力さや恐怖から逃げることなく立ち向かい戦い続けるという事ではないか? これは此処数年僕がカンパニー松尾平野勝之、さらには彼らより若い井口昇といった疾走するAV監督達から学んだささやかなテーゼである──」

 これは僕が九〇年代後半、井口昇に関して書いた文章の一節だ。本稿に与えられたテーマはAV監督としての井口昇が、如何にしてこの『恋する幼虫』という劇場公開用傑作映画に辿り着いたか、である。しかしその前に、貴方はアダルトビデオというものを観たことがあるだろうか、そしてどんな印象をお持ちだろうか。男女のセックスを安直に描く、ただ劣情を刺激するだけの下品で陳腐で観る価値の無いものと捉えてはいないだろうか? でも、残念ながらそれは正しい。ビデ倫メディ倫といった大手審査機関を通しただけでも一説には年間数千タイトルを超えると言われている膨大な作品群の、その大部分はクズである。しかしその中にほんの一部、とてつもない映像的才能を持った人々がいる。井口昇はそんな中の一人だ。彼の他にも井口の兄のような存在で、8ミリビデオカメラ片手にたった一人で『白〜The White』という強烈な劇場公開映画を撮ってしまった平野勝之、井口の師であり本作にもヒロインの上司(編集長)役で登場し並々ならぬ存在感を示している高槻彰、庵野秀明に強い影響を与えたと言われるカンパニー松尾バクシーシ山下、さらに井口より若い世代にはインジャン古河という先行き恐ろしいような才能もいる。

 では何故時にアダルトビデオの中にそう言った才能が生まれるのだろうか? それはAVというものがその低予算を余儀なくされる状況から自ずと手工業的制作過程を経ることにより、性の対象たる女性や自らの欲望、さらには自分自身の存在にまで、正面から対峙させられることをアプリオリに運命づけられているからだ。もちろん安かろう悪かろう経済効率に寄って立ったオトナ的な制作姿勢でAVを作ることは出来る。しかしそんな風に自らの欲望から眼を逸らしてしまった途端、そのAVはユーザーにとってリアルさを欠いた、“ただ男女のセックスを写しただけ”の意味のない映像に成り下がってしまう。先にそのほとんどがクズだと書いた意味はそこだ。

 そんな中で井口昇は決して安直にオトナになろうとはせずに、自らの欲望に立ち向かい続けているAV作家の一人である。けれど──そんな風にくだらない大人に成り下がることなく、少年のような気持で女性やセックスに対して欲望すること、憧れ続けること、それは同時に大いなる恐怖に晒されることにもなる。逆に言えば、我々は大人になるにしたがって傷つかなくなる術を憶え小器用になる。社会や他者に対し、ひたすら無力なまま怯えていた少年の日々を忘れ去ってしまうのだ。しかしそれと引き替えに我々は可憐なものや美しいものへの憧れをも忘れてしまう。何故なら我々が可憐だと思っていた少女達や美しいと信じて疑わなかった未来とは、同時に悪魔のようなダークサイドを孕んでいたからだ。本作『恋する幼虫』に於いて新井亜樹乾貴美子の見せる、美しさと可憐さの裏側にあるどうしようもない不気味さとグロテスクさを見れば判るだろう。

 また、もう一つ近年のアダルトビデオにおいて特出すべき点は、他の映像メディアに先駆けて8ミリビデオカメラやDVカムといった小型カメラの持つ可能性を拡大したという事だろう。高槻彰らが好んで行う対象人物の内面にまで切り込んでいく手法、カンパニー松尾が確立したハメ撮り(1対1でセックスしながら撮影する)といった方法論に、小型カメラは必要不可欠であり、逆に言えば小型カメラというハードをより自由に扱うことでAVは進化したのだ。全編8ミリビデオカメラによる平野勝之の初の劇場公開映画『由美香』が、DVテープを35ミリにブローアップしたジム・ジャームッシュの『イヤー・オブ・ザ・ホース』と同年(97年)に制作されたことから見ても、日本のAVのある一部が、どれだけ世界と同時代性を共有しているかが理解出来るだろう。

 そして井口昇によるこの『恋する幼虫』もまた、ソニーのDSR-PD150という小型DVカムで全編撮影されている。これは彼が普段AV作品を撮るのと同じかもしくは同様のカメラだ。つまりここで最も大切なことは、井口の中でAVと映画というものが常に同列であるということだ。そもそも彼が98年、新井亜樹唯野未歩子を主演に切ないほどに美しくも残酷な自主映画『クルシメさん』を撮ったその動機は、「AVだとエロスを表現するのに直接的な性行為を描かねばならないから──」というものであった。つまり井口は映画に於いて、性行為を抜きにしてAV以上に猥褻な作品を撮りたかったのだ。

 どちらにせよ、家庭用DVカムで撮影され自宅のデスクトップ上でノンリニア編集された映画が劇場で公開される時代になった。この時に最も必要とされるのは何よりも純粋な才能だろう。だけど才能って何だろう? それは美しさや可憐さに深い憧憬を抱きながら、それの持つ悪魔のようなダークサイドに脅えない毅然とした姿勢だ。井口昇の映像は今、誰よりも切実に世界に繋がり呼びかけている。
 
(2003年『恋する幼虫』劇場用パンフレット所収、「AV監督、そして映画監督としての井口昇」より)
 
 
【追記】井口昇はこの後、2005年に『猫目小僧』(原作・梅図かずお。出演・石田未来竹中直人、他)、翌06年には、『卍』(原作・谷崎潤一郎。出演・秋桜子、荒川良々野村宏伸、他)を発表。2007年には米国メディアブラスターズ社製作によるスプラッター映画『片腕マシンガール』が、YouTubeにアップされた予告編が100万ヒットを記録したこともあり話題となる。現在は2009年劇場公開予定の『ロボ芸者(仮題)』を撮影中。
 
※映画監督・井口昇OFFICIAL BLOG井口昇の「きっと男子ばっかり見るだろうから敢えて言うけど女の子集まれ!」←はコチラ。

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