インディーズAVにおける林由美香

女優 林由美香 (映画秘宝COLLECTION (35))

女優 林由美香 (映画秘宝COLLECTION (35))

 

【はじめに】
 松江哲明監督によるドキュメンタリー映画『あんにょん由美香』が、ポレポレ東中野にて好評上映中ですが、その制作のきっかけとなったのが上記『女優・林由美香』という本です。東良美季もその中で3本、コラムを執筆しておりますのでアップしてみました。B5版318ページに及ぶ分厚い本ですが、これをお読みになりご興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、購入し読んでみて頂けたら幸いです。柳下毅一郎香山リカ切通理作といった方々を初めとする力の入った、林由美香に対する愛情溢れた文章が詰まっています。松江監督も執筆されています。



【インディーズAVにおける林由美香
 おそらく別項でどなたかが触れられていると思うけれど、林由美香の通夜告別式には本当に、驚くほど数多くの人が参列したと聞く。僕は7月の1日に行われた通夜に顔を出した。彼女の地元である板橋の斎場、非常に大きな会場にも関わらず、遺影のある場所は親族と幼馴染みを初めとしたたくさんの友人達に埋め尽くされ、他の参列者は別室に列をなして並び、およそ50人づつくらいが順に焼香に向かうというスタイルが取られていた。遠くに何人も旧知の顔を見つけることが出来たが、会場が広いのとあまりに人が多いのでほとんど声をかけることも出来なかった。ただ、焼香を済ませて外に出ようとした時、男優の平本一穂と出会った。平本はひとり壁にもたれて立ち、少し青ざめたような顔をしていた。
 AVの世界にあって、平本一穂は初期から林由美香と付き合いの深い男優の一人である。89年、カンパニー松尾監督による『あぶない放課後6』が初共演ではなかったか。続く名作と言われる『硬式ペナス』でも相手役を務めている。眼が合ったので近づき挨拶した。
「最近も付き合い、あったの?」と訊くと、
プレステージでサブ(助演)をちょこちょこお願いしていたから・・・」と言葉少なに答えた。
 プレステージとは若い人達の立ち上げた新興のインディーズ系メーカーである。永遠の高校生、いつまでも学ランの似合う男と呼ばれた平本一穂も40才を越えた。風貌的にはあまり変わっていないように見えるが男優一本でやるには体力的な問題もあるのだろうか、ココ2年ほどはそのプレステージからの監督作リリースがコンスタントに続いている。
 林由美香らしいな、と思った。おそらく電話一本で、詳しい内容やギャラなども尋ねたりせず受けていたのだろう。携帯電話片手に「あー、ヒラモっちゃん、久しぶりー元気ィ?」「イイよー、空いてるよー」などと笑っている姿が眼に浮かぶ。結局、AVがセル=インディーズの時代になっても、林由美香はそのように生きたのだ。最後の最後まで──。
 
 セル=インディーズAVというものがどのように始まったかには諸説あるが、やはり94年に始まった《ビデオ安売王》(以下、安売王と略)の存在が大きいはずだ。ガソリンの激安チェーン店で大成功した佐藤太治という人物が今度は日本初のアダルトも含んだセルビデオチェーン店を全国展開するとブチあげ、週刊誌各誌に「儲かりまっせ」とばかりにフランチャイズ店募集の公告を大々的に打った。これによって全国各地にソフトウェアの出口たるショップが数多く生まれ、これが現在まで続くセルビデオの基盤となった。しかし、その反面安売王はソフトの供給源たる制作サイドをないがしろにしていた。あるいは根本的にエロビデオ作りというのをナメでいたのだろう、タチの悪い下請けプロが巣くう温床となり、巨額の制作費から九割以上の粗利を中抜きされた挙げ句店頭には粗悪品ばかりが並び経営は一気に傾いた。

 ただ、そんな下請けの中に唯一、志と正義感に溢れた人物がいた。それが高橋がなりである。高橋は制作会社ロコモーションを率いて安売王から制作受けしていたが、あまりに粗雑な発注状況に業を煮やし自ら制作の乗り込んでいくがその時すでに時遅し、代表である佐藤太治が風営法違反で逮捕されたこともあり安売王はその短い命を終える。しかし高橋はすでにソフトの出口たるショップが全国に展開していることにビジネスチャンスを見る。そこで、かつての恩師であるテリー伊藤より資金を融資して貰い設立したのがソフト・オン・デマンド(以下SODと略)であった。これによってAVにセルビデオという世界が本格的に誕生するのである。

 さて、それがマスからの流れだとすると、まさにインディーズの本流たるマニアビデオからの源流もある。93年、弱冠23才にして渋谷道玄坂にザーメンビデオ専門ショップ「ミルキーショップ・エムズ」を開店し、自らも過激なオリジナルビデオを制作。「渋谷に松本あり!」と言われていたAV監督・松本和彦である。松本は94年、佐藤太治より傾き掛けた《ビデオ安売王》を何とかして欲しいと依頼を受け、六千万の予算で10巻セットの大作『一期一会』に着手。が、半金の三千万で制作に入った所で安売王が倒産、いったんは暗礁に乗り上げるものの当時業界最大手であった問屋イズ・エンタープライズの協力を得て完成。それは総数20万本を越える空前の大ヒットとなる。松本は95年になってレンタルで活躍していたTOHJIROらと共にSODの監督主導レーベル「ON」に参戦。ココに来てAVはいよいよレンタルからセルの時代へと完全に移行した。

 高橋がセルAV業界に成した改革はあまりに多すぎて枚挙に遑がないが、二つ重要な点を上げるならまず、一本一万円以上というバカげた価格を三千円以下に下げたこと、そしてもうひとつはアダルトビデオというものを、判りやすいジャンルに分けたということだ。そしてこれは偶然にも、松本が成功した秘訣でもあった。彼が大ヒットさせた『一期一会』は一本ずつが「露出」「ザーメン」「スカトロ」と言ったジャンルに分類されていた。これによって、ユーザーは自らの性癖を判りやすくチョイスすることが出来るようになった。つまり従来の「エロビデオは当たるも八卦〜」という悪しき風習が崩れたのだ。一泊300円なら仕方ないかと諦められるレンタルではない、「金を出して買うAV」にこの発想の変換は必要不可欠であった。

 さて、林由美香である。この改革によって本当に様々なことが変わった。例えば「熟女物」というジャンルが出来た。これは今考えると本当に不思議だ。世の中には女子高生のような若い女が好きな男もいれば、成熟した女性を好む者もいるだろう。しかしレンタルオンリーだった時代には、あたかも「女は若くないと価値が無い」とばかりにそういうニーズはすべて切り捨てられた。25才以上はオバサンと呼ばれ、ピンク映画の世界ではキャリアを重ねた女優はそれなりに重宝されるしファンに支持もされるが、それ以前のAVでは「鮮度の落ちたAVギャル」と言われ仕事を発注する制作者すら激減するのが現状であった。

 そのSODがセルビデオメーカーとして台頭し、AV界に旋風を巻き起こし始めたその年95年、1970年生まれの林由美香はまさに25才。3才年上の川奈まり子(67年生)、4才年上の瀬戸恵子(66年生)らが登場し熟女ブームが起こるのがその約3年後。林由美香もやはりその波に乗り、AVアイドルから熟女スターへと見事転身し活躍した──、かと思えばまったくそんなことは無かった。そして、AVの世界からは次第にお呼びがかからなくなり、その活動の場をピンク映画にシフトしていったかと思えば、実はそれも、そうでもないようなのだ。熱心なファンの方がネット上にアップしている彼女のインディーズAV主演作は、クレジットがあり確認されている物だけで軽く100本を越えている。未確認の物、クレジットの無いものも合わせればおそらくその四、五倍に及ぶのではないか? また、松本和彦による『'95夏の陣』(95年MVG)というザーメンビデオや、SODからは熟女物監督の第一人者・溜池ゴローによる『全裸特別●護老人ホーム』(01年SODセルシネマ)といエポックメイキングな作品もある。しかし──、

 先ほど高橋がなりと松本和彦による判りやすいジャンル分けがセルビデオに大きな改革を巻き起こしたと書いた。ただそれにはもちろん功もあれば罪もあり、AV女優すべてが「熟女」か「痴女」か、「巨乳」なのか「ロリータ」なのかという実に面白味の無いジャンルに分類されてしまったという側面もあった。女の子達は仕事が欲しいため、Aアイドルになりたいがために「私はセックスが好きなんです」「エッチな女の子です」「ザーメン飲めます」「潮吹きます」と判りやすいアピールだけを始めた。それらは気弱でオタクな青少年を優しくオナニーに導いてくれたかもしれないが、逆に言うとかつてのAV女優達の持っていたアナーキーで自由奔放な魅力から遠ざかることになった。

 そう考えていくと、林由美香だけはAVがセル=インディーズの時代になっても、どのジャンルに分類されることも無かった。逆に言えば彼女は最期まで林由美香という唯一無二のジャンルでしかなかったということになるのかもしれない。

 作家・村上龍は、日本社会は自分で「仕事を選び取る」というニュアンスを持っていないと発言している。例えば作家は「作家になる」のではなく、文壇という小説を仕事にしている世界に「選び取られる」ことによって小説家になるのだ、と。その意味で言えば、林由美香はアダルトビデオという職業を自ら選び取った、最後のAV女優だった。


※本稿執筆に際し、藤木TDC氏より貴重なアドバイスを頂戴しました。また、本文中にもあるファンサイト〈裏備のAV女優よろ図鑑〉を参考にさせて頂きました。)