AV黄金列伝・まえがき〜僕達は何故、あれほどたやすく信じたのだろう?

 時々、懐かしく想い出すことがある。
 今住んでいる武蔵野の田舎に引っ越して間もない頃、駅からアパートまで歩いて30分近くかかる一本道のちょうど中程に、小さな個人経営のレンタルビデオ店があった。一般映画とTVドラマシリーズ等のスペースが約20畳ほどといったところだろうか。それでも最新のハリウッド映画はもちろん、黒澤、小津といった過去の名作邦画もかなりの品揃えで、あった。ATG時代の大島渚も、そこで何本か再見した記憶がある。倉本聰脚本による70年代のTVドラマ『前略おふくろ様』を、シリーズすべで観直したのもその店があったからだし、今ではもう観るのは難しいかもしれない、松本人志の『頭頭〈とうず〉』もそこで借りた。デヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』がいつも貸し出し中で、続きが借りられずやきもきしたのも良い想い出だ。
 そして──、
 お馴染みのあの〈暖簾〉の向こう側のスペース、それが畳10畳ぶんくらいだったろうか? 新作の棚があり、大雑把に分けられた人気女優のコーナーがあり、その他はメーカー別の棚が作られていた。僕は20代の後半を殺人的に忙しいAV監督として過ごした果てに、半ば隠遁生活をするようにこの田舎町に引っ越した。そしてポツリポツリとAVレビューなどを書き始めた頃だった。仕事とは関係無く、代々木忠監督の『目かくしFUCK』、『性感Xテクニック』シリーズ等を1本、また1本と借りていった。監督時代、他人の作品を観るのが嫌だった。くだらないものだと腹が立ち、出来の良いものには嫉妬した。だから代々木監督による一連の名作を、その頃になってやっと冷静に観られるようになったのだ。
 棚の一番下にはアートビデオやシネマジックの古いSM作品があって、それは懐かしい女優や、日比野達郎、速水健二といったAV監督時代に一緒に仕事をした男優達の、元気な姿が観たくて借りた。奥の棚に何やら黒っぽいパッケージの並ぶ一帯があり、それがヘンリー塚本監督によるFAプロの作品群だとやがて判った。そして、怪しげな中にも何処かお洒落な雰囲気も漂うパッケージの一帯がV&Rプランニング。安達かおるの『ジーザス栗と栗鼠スーパースター』のシリーズ、バクシーシ山下の『女犯』、カンパニー松尾による初期の『私を女優にしてください』がすべて揃っていた。ただ、僕が松尾や山下、そしてヘンリー監督に実際に会うのはそれからまだ1年程の時間が必要だった。

 その店は閉店が午前2時半。中央線の最終電車が駅に着いてから約40分程という時刻だ。深夜0時を過ぎると一般映画のコーナーにはすっかり人気が無くなり、その代わり〈暖簾〉の向こう側には急に賑やかになる。とは言えもちろん、誰一人会話は交わさない。20代後半から30代、ほとんどがスーツ姿のサラリーマン風。彼らは1本1本VHSのパッケージを手に取り──そう、あの頃はDVDなんて無かった──裏表を丁寧に見てはまた棚に戻し、ある者はずっとしゃがみ込んだまま、80年代の古いAVを探し続けていた。
 そんな物言わぬ友人達の姿を見た時、何編か書き散らかしたまま放り出しそのままになっていたAV男優、AV女優へのロング・インタビューをまとめてみようと思った。ただしその本『アダルトビデオジェネレーション』が一冊になるのは、そこからさらに6、7年の月日がかかるのだが──。

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 25才の時、アダルト系ヌード・グラビア誌の編集長になった。1984年、アダルトビデオの創世記である。インタビューや現場取材を通して、同世代のAV監督達に出会った。小路谷秀樹、高槻彰、ジャッキー、細山智明、等々。誰もが、若く自由な魂だった。その中の一人、80年代を代表する鬼才・伊勢鱗太朗がプロデューサーを買って出てくれて、僕は編集者と二足のわらじながらも、初めてAV作品を監督した。そして2年後、やはり同誌のインタビューで知り合った豊田薫の勧めで、彼の所属していた芳友舎(現h.m.p)の専属ディレクターとなり、本格的にAVを撮るようになった。
 中川えり子、斉藤唯、東清美、前原祐子、大滝かつ美、村上麗奈、葉山みどり、仲村梨紗、森村あすか、樹ますみ、山本なつき、藤巻ゆかり、杉森久美子、坂口蘭子、小泉朝子、栗原早記──アイドルから淫乱派と呼ばれる女の子達まで、何人ものAV女優と、ライヴな時間を共有した。
 夢のように美しく充実した日々であったが、同時に編集者上がりで助監督経験もない身には、毎回の撮影が重く苦しいプレッシャーの繰り返しでもあった。それに、折りからのバブル景気が拍車をかけた。メーカーは倍々ゲームで売上げを伸ばす。VHSテープはまるで札束を刷るように売れていき、女優のギャラはたちの悪いジョークの如く高騰した。作品を出せばそのぶんだけ売れる。故に監督は会社から撮影をひたすら組み、リリース本数を増やすよう要求された。そんな中で、僕はAV監督をドロップアウトする。年間専属契約を交わし、ギャラの他に契約金も貰ってたので他の仕事をすることもままならず、忙しく使う暇もく貯まる一方だった銀行口座の金を掴み、アメリカへ渡り約半年放浪した。1989年の夏。連続幼女殺害事件の容疑者、宮崎勤が逮捕されたニュースを、僕はニューヨークの安ホテルで知った。

 今年2010年、本書と同じイースト・プレス文庫ぎんが堂のシリーズ『AV黄金時代〜5000人抱いた伝説男優の告白』(太賀麻郎と共著)を出版した際、AVライターとしては先輩で、『AV時代〜村西とおるとその時代』『新・AV時代 』等の著書もある作家の本橋信宏さんから取材を受けた。
「あの時、東良くんは何故AV監督を辞めたの?」
 本橋さんからそう訊かれた時、我ながら青臭くて恥ずかしいなと思いつつこう答えた。
「僕はエロ本やAVに、大げさじゃなく青春を賭けてた。それがバブルの時代が来て、大人の金儲けの道具になっていくことに、心の底からウンザリした」と。
 本橋さんは驚いたような、少し呆れたような顔をした。そして出来上がったインタビュー原稿に、こう書かれていた。
〈商業主義を嫌悪し、創作活動にあたる人間など、70年代フォークシンガーか戦前の純文学作家くらいしかいないと思っていたのだが──〉綜合図書『特選小説』10年9月号「風俗TOP履歴書」。
 しかし、本橋さんも判っておられるはずだ。彼もまた、ある時期AVに自らの何かを賭け、村西とおる監督と共に、後に押し寄せたバブルの波に青春を翻弄された者の一人だからだ。

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〈俺達は現実を必要以上に現実的であると考えすぎた。リンゴを搾ればジュースになると、何故あれほどたやすく信じたのだろう。あるいは雲が出来たかもしれないのに──〉
 これは先に書いた、僕が20代半ばに編集長を務めていた雑誌『ボディプレス』(白夜書房)の最終号に、僕をAV監督に仕立て上げてくれた恩人・伊勢鱗太朗が寄せてくれた言葉だ。
 我々は何故あそこまで純粋にそして愚直に、アダルトビデオというものを信じたのだろう? けれどそこには、やはり人生のある時期を賭けるにふさわしい、何かがあった。
 AVとは、ポルノグラフィーとは、セックスの代用品かもしれない。パートナーを見つけられない寂しい男達が使う。もしくはラブホテル等で、恋人達はその行為を高めるために、ひとつの前戯として楽しむかもしれない。けれど、果たしてそれだけだろうか。
「アダルトビデオは誰のためにあるのか?」
 そう問われた時、僕は常に、
「社会のエッジを歩いている人のためだ」と答えている。
 それは決してアウトサイダーや、一般社会から落ちこぼれた人々に限らない。ごく普通に生活をし、立派な会社に勤め、美しい奥さんがいる男であっても、時に人生を迷うことがある。俺は今、正しい場所にいるのだろうかと。
 あるいはテレビを初めとしたマスコミに持てはやされるアイドル達に、どうしても感情移入出来ない少年がいる。また、広く観られている一般映画や、ハリウッドの大作に馴染めない人々もいる。決して男だけではない。女性の中にも、アダルトビデオに何かを強く求める人が、少なからず存在する。

 AVはVHSからDVDに代わり、ネットレンタルや動画配信も一般的になった。TSUTAYAを初めとする大手チェーン店が全国に展開し、街のレンタルビデオ店は一軒、また一軒と消えていった。我が家の近く、駅からアパートまで歩いて30分近くかかる一本道のちょうど中程にあった、あの小さな個人経営の店舗も、数年前に姿を消した。
 深夜、あの〈暖簾〉の向こう側に佇んでいた物言わぬ友人達は、いった何処へ行ったのだろう?

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 本書は1999年、メディア・ワークスより刊行された『アダルトビデオジェネレーション』から、ページの関係で数人の方のインタビューを削り、同時にその後の10年で活躍した人、数名を加えたものである。
 誰もがAVに何かを賭け、運命の船に乗り、波に煽られ人生の行き先を大きく変えられた人々──そう言って差し支えないだろう。
 今これを読んでいるあなたは、夜の深い時間、あの〈暖簾〉の向こう側に佇んだことがないだろうか。あるいは、自分が社会の隅に居ると孤独を感じたことがないか? もしもそうであるならば、いや、例えそうでなくとも、彼らの言葉に耳を傾けて欲しい。

「ワタシは、どうして、あの場所に、いたんだろう──?」

 ジュースになると信じて絞ったリンゴは雲になった。それは掴めるはずもなかった夢に似ている。けれど雲は何処かに雨を降らせ、それはまたもうひとつ、別の雲を作るだろう。あなたにもいつか、その雲を掴もうとする日が来るかもしれない。

AV黄金列伝 (文庫ぎんが堂)

AV黄金列伝 (文庫ぎんが堂)