ジーザス栗と栗鼠スーパースター〜林由美香 監督・安達かおる

 この暗さはいったい何なのだろう──?
 この文章を書くにあたり、おそらく10年以上ぶりに本作を観直した正直な感想である。とは言え、作品の内容的には決して陰惨なものではない。時に撮影が24時間以上ぶっ通しで続けられるという、いわゆる耐久セックス物ではあるのだが、チャプター的にはあまり笑えないコント様なものが続く艶笑的な作品でもある。
 監督の安達かおるはしばしば人間の本性を暴く作家と言われる。優秀な商社マンの家庭に育った彼は幼少時代を海外で過ごした帰国子女で、10才にも満たない頃イランで公開処刑を目撃してしまったことがその作風の原点であると言われている。しかし、と同時に少年時代それら異国の地で体験出来た映像はNHKとザ・ドリフターズの『8時だヨ!全員集合』のみで、硬派なドキュメンタリーを作ろうとしても何故かドリフのコント風になってしまうという説もある(笑)。
ジーザス栗と栗鼠スーパースター』、このダジャレにすらなっていないタイトルのシリーズ企画が生まれたキッカケは、カンパニー松尾・原作の青春回想録劇画『職業AV監督』(画・井浦秀夫秋田書店刊)によれば、とあるAV女優が発した何気ないひと言だったという。元々AVメーカーとしては新興で、安達以下スタッフ4人ほどでスタートしたV&Rプランニングはその規模の小ささから初期にはあまり有名な女優をキャスティングすることが出来なかった。だからこそNG事項の少ない企画AVギャルを起用しSMやスカトロ、果ては獣姦に至るまでアナーキーな作品を世に問うてきた。しかし松尾が入社した88年頃になりやっとのことで多少鮮度の落ちた単体アイドルなら撮れるようになってきた。その時に現れたのが一度引退し、再デビューした後藤沙貴という女優だった。そして面接時、「人間は決して建前通りキレイなものではない。本音や素が出た時がむしろ本当の姿なのだ」と持論を展開する安達に対し、後藤は「私は仕事で素なんて見せないよ、だってプロなんだから」と言い放った。そのひと言が安達の闘争心に火をつけ、特殊な性癖を持った素人男優達を次々とぶつける耐久セックスを強いて、女優から「お仕事」という仮面を剥ぎ取るという手法を生み出させたのである。
 シリーズ7本目に当たる、林由美香主演による本作も同様のスタイルによって作られている。飲尿、SM、イジメ、女装、ホモといった数々のマイノリティな性癖が、教師と女子高生、ナースと患者、浮浪者同士のセックス(由美香と男優・ライト柳田が顔に泥を塗りボロをまとい寸劇を繰り広げるというまさにドリフのコント!)といった短いチャプターで繰り返される。冒頭に書いた「暗さ」とはまさにそれだ。制作は90年春。世はまさにバブル絶頂期である。AVの世界でもあの村西とおるがダイヤモンド帝国を築き上げ、代々木上原に超高級億ションを購入。黒木香を筆頭に松坂希実子、沙羅樹、卑弥呼といったゴージャス女優達がヒラヒラのドレスを身にまといメディアに露出していた頃だ。しかしそんな時期にあっても、その虚飾をベリベリと引き剥がしてみれば、下には行き場の無い欲望がしっかりと渦巻いていたのだ。
 さて『ジーザス〜』のもうひとつの特徴は、そんな過酷で救いの無い性を無理やり押し通していくと、最後には異様とも思える開放感と爽やかな笑いに包まれるということだ。そういう意味で林由美香が体現していたのは、実はバブルもその崩壊の後も、やがてやってくるオウムや大震災の悲劇すらも軽々と乗り越えてしまう、強くて底抜けに明るいセックスそのものだったような気がする。